立命館大学学友会学術部公認団体 立命館大学東洋史研究会の紹介

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安田峰俊氏講演会のお知らせ

当会OBで、ルポライターとしてライターとして活躍されている安田峰俊氏をお招きし、講演会「東洋史をアジア・ジャーナリズムに活用するには」を行います。中国の取材経験豊富な安田氏のお話を間近で聞けるチャンスですので、是非お越しください!

日時:5月18日(木)18時~
会場:清心館501号教室
学内のビラの端が切れてるのは試し刷りを面倒臭がった僕のせいですごめんなさい

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2017-05-17 : お知らせ : コメント : 0 : トラックバック : 0
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5/2 漢文素読『後漢書』賈復伝「朝飯前」

今回は先週来ていなかった新入生に輪転機の使い方を教えた後、久しぶりの漢文素読を行いました。
今回読んだ『後漢書』南朝宋・范曄撰の後漢断代史です。賈復伝は初代光武帝の功臣賈復の伝記であり、その中でも河北で盗賊と戦った際のエピソードで「朝飯前」という言葉の語源になった部分を読みました。
以下読んだ部分の意訳です。

光武帝が信都に至ると、賈復は偏将軍となった。邯鄲を落とすと都護将軍になった。
光武帝に従って射犬で盗賊と戦ううち真昼になったが、盗賊たちの守りは堅く退くこともなかった。光武帝は賈復に「兵士たちがお腹を空かせているので朝飯にしよう」と言ったが、賈復は「先に敵を破ってそれから食べましょう」と言った。賈復は先頭に立って敵と戦い、圧倒し、盗賊は敗走した。諸将はその勇に感激した。
また、真定で別の盗賊と戦い、大勝するも賈復はひどい怪我を負った。光武帝は「私が賈復を手元で戦わせたのは敵を軽んじてしまうためである。果たして、我が名将を失ってしまった。賈復の妻が妊娠していると聞くが、その子を我が子と結婚させて妻子を心配させないようにしよう」と言った。
やがて賈復は回復し、薊で光武帝に会うと大変喜んだ。兵士をもてなす際も賈復を前に居させた。鄴で賊に勝利した。
2017-05-03 : 活動 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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4/27 リテラシー講座

前週までは発表を行っていましたが、今回は新入生向けに発表を作るために役立つ事項の講座を行いました。
内容としては参考文献の書き方、レジュメの作り方、CiNiiの使い方、輪転機の使い方、図書館・文献資料室・リサーチライブラリーの使い方といった辺りです。
今年度の新入生も関心ある分野が多岐に渡るので、よりよい発表ができるよう今後も支援していきます。
2017-05-03 : 活動 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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4/18 発表「左往右往―唐初の宗教政策」

引き続き新入生に見学に来てもらいながらの活動でした。また、今週から活動は週1回です。以下要約です。

唐代は、仏教・道教・儒教の全てが盛んな時期であった。とりわけ対立が熾烈だった仏教と道教に対し、唐初にどのような政策が取られたかについてみていきたい。
唐代は全体的に道教が仏教より重視されたが、時期により政策には差異がある。高祖李淵は仏教が外来の宗教であるのを理由として道教・儒教・仏教と序列を付けた。一方で「沙汰仏道詔」で仏教と道教を共に批判した。李淵は宗教に熱心ではなかったため、宗教政策は現実の諸問題解決のために行われた。代表的なものとしては政権の正当化と国家の復興がある。前者については、李淵の家格が決して高くはなかったため、自身を老子(李耼)の子孫と称し箔をつけるのを試み、そのために道教の序列は筆頭となった。後者については、農業・国庫に貢献もせず逆に足を引っ張る仏教・道教を共に批判した。
太宗李世民も道教を筆頭に置いたが、仏教も支援した。李世民は宗教、とりわけ仏教に熱心な皇帝で、即位前によく寺院に訪問していた。ただ、後継争いの際に、道教が李世民を支持したのに対し、仏教は当時の太子李建成を支持した。そのため、政策としては道教を尊んだのである。ただ、仏教に対しても厚遇している。これは、当時国力が回復していたのに加え、道教よりも仏教の方が民間の支持が厚いのを鑑みたためであった。しかし、道教が筆頭であるという一線は守り抜いた。
武則天は仏教を道教の上に置き、老子を貶めている。これは、武則天が唐から周に国号を改めた自身の即位の正当化のためであった。武則天は即家前に偽の仏典を利用し、自身を仏の生まれ変わりと主張した。また、道教を貶すことにより唐を否定しようとしていた。
玄宗は道教を重視し、道観を増やす、科挙に『老子』を加えるなどした一方で、仏教は冷遇した。これには、武則天の影響力を排除するという政策上の事情と玄宗自身が道教信者だったという個人的な事情がある。
初唐の皇帝は宗教に対し各人各様の考えがあったが、宗教は皇権に従属するという認識は一貫していた。従って、一つの宗教だけが主導権を握ったことはなかった。やがて仏・道・儒の三教がお互いの思想を取り入れる三教合一の時代となっていく。

質疑応答
Q1.儒教についての言及が少ないがこの頃はどうだったのか。
A.科挙で用いられたため概ね安定していた。主に争ったのは仏教と道教。
Q2.全体的に道教が仏教より重視されたとあるが、安史の乱以後は仏教のほうが道教より尊ばれたのではないか。例えば憲宗は「諌迎仏骨表」が出されるほど仏教を信奉している。
A.武宗の時会昌の廃仏があったためそうは言えないと思う。
2017-04-19 : 活動 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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4/16泉屋博古館見学レポート

新入生含む4人で鹿ヶ谷の泉屋博古館の見学に行ってきました。泉屋博古館では住友家のコレクションが展示されています。その目玉はなんといっても中国青銅器の至宝の数々であり、おそらく青銅器の展示では日本で一番だと思います。また、季節ごとに趣のあるテーマの企画展も行われています。
ボランティアガイドさんの解説がとてもわかりやすく、非常に有意義な見学になりました。それでは、見学順に展示について触れていきたいと思います。長め+画像多めなので注意。
(画像・読みなどにに誤りがあるかも……。)

中国の青銅器の時代―第1室:青銅器名品選

01.夔神鼓(きじんこ)〈商[殷]後期〉

Ⅰ-01夔神鼓 
側面中央の顔面が目を引くが、よく見ると胴体の文様もついている。用途は見た通り太鼓。第2室でその音の録音が聞けるが、こんな逸品をを叩くなんてなかなか怖そう……。

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tag : 博物館見学

2017-04-17 : 活動 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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